原題『Fahrenheit 451』(1953)
本が禁止された世界で本の魅力を知ってしまった焚書官(ファイアマン)の物語。
――火の色は愉しかった。(It was a pleasure to burn.)
あまりにも有名な冒頭の一文から始まる物語を、タイトルを知っていたり設定を知っていたりという人は多いが、しかし読んだという人は意外と少ない。
何故本が禁止されているのかという点はもちろん作中で明かされてはいるがここではネタバレに触れるので避ける。しかしディストピア小説ともとられる本作は、逆説的に本が必要不可欠であることが書かれてある。
『華氏451度』の世界では本を持っているだけで罪になり、通報によってファイアマンがその家に駆けつけて本を家ごと燃やす。この通報は多くの場合が隣人の密告であるために相互監視社会も描かれており、作中の雰囲気は決して明るいものではない。
さらにこの小説を読んだ後ではテレビの偏向報道やネット上の根拠(ソース)のない意見などを見ていると、この物語はもう半分くらいは現実になってしまっているのではないかとさえ思えてしまうように、現代社会とリンクして考えざるをえないようなSF作品だ。
このように書いてしまうと重々しい物語と捉えられてしまうかもしれないが、あくまでもSFであるためにスリルやアクションの要素がある。そのため一種のエンターテインメント作品としても読めてしまう。さらに翻訳されているため値段は少々高めだが本自体は350ページ程度とさほど厚くないために気軽に読むことができる。だがもちろん決して軽薄な物語ではない。重厚なのに読み易いので読書や翻訳本が苦手な人でも読めてしまうと思う。
この設定でのラストはネタバレでも見ない限り想像がつかないと思うので、気になったら是非読んでほしい。というか、『華氏451度』はオーウェルの『一九八四年』(ハヤカワ文庫)と同じくらいこの時代の多くの人に読んで欲しい一冊。
ちなみにタイトルの華氏451度とは紙が燃え上がる温度であり、私たちが普段使っている摂氏だとおよそ233度である。
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次回は綾辻行人『十角館の殺人』を予定しています。(日時未定)
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