2014年4月6日日曜日

アガサ・クリスティー他『厭な物語』

アガサ・クリスティー他『厭な物語』(文春文庫/2013)

帯のキャッチコピーは「読後感最悪。」。海外バッドエンドの傑作短編を11作収録したアンソロジー。

――あのかわいそうなひと、もう神経がおかしくなりかけてるじゃないの。残酷よ。

 物語の結末といえばハッピーエンドがお約束になっている節がある。冒険譚なら敵を倒して財宝を手に入れる。ファンタジー映画なら怪物や悪い魔法使いを倒す。2時間サスペンスならトリックを暴き犯人を見つけてきれいな景色やユーモアを交えて終わる――。本作にそんな結末は一切ない。このアンソロジーのどの作品も最後の一行を読み終えたら重い溜め息が漏れる。作者は何を思ってこんな作品を書いたんだ、と思ってしまう作品も1つや2つではない。ありきたりな物語に飽き飽きしている方。物語に刺激を求めたい方。他人の不幸を覗き見たい方には絶対に読んでほしい1冊。またこの作品には第二弾として『もっと厭な物語』も刊行されているのでこちらもチェックしてもらいたい。こちらには国内作家の作品も収録されている。また、どちらのアンソロジーも順番通りに読むことが推奨されている。
 以下は収録作とそのあらすじの簡単な紹介。ネタバレはないつもりだけど予備知識なしで読みたい方はとばしてください。

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「崖っぷち」 アガサ・クリスティー
 最初は言わずと知れたミステリ界の女王クリスティーによる短編。女と女によるどろどろ劇はクリスティー版の昼ドラと云えばわかりやすいだろうか。秘密を知った女は女をその秘密で強請(ゆす)る。

「すっぽん」 パトリシア・ハイスミス
 続いてのタイトルは「すっぽん」。すっぽんと云ってもトイレにあるラバーカップのことではなく亀に似た生き物のすっぽんのこと。母親が食材として買ってきたすっぽんを男の子は飼おうとする。

「フェリシテ」 モーリス・ルヴェル
 ぱっとしない人生を歩んできたもう若くはないぱっとしない女性、フェリシテ。そんな彼女の目の前に紳士的ないわゆる「おじさま」な男性が現れ、週に一度必ず会う関係になる。

「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ」 ジョー・R・ランズデール
 退屈を持て余していた二人の男は犬の死骸を彼らの運転する車のリアバンパーに取り付けて引き擦りまわすことを思いつく。読了中の気分の悪さはこのアンソロジー随一。

「くじ」 シャーリイ・ジャクスン
 『ずっとお城で暮らしてる』の著者による早川書房の異色作家短編集で表題作になっているほどの有名作。その村では年に一度、村人全員がフェアにくじを引くが、なにやら村の繁栄を祈願するくじだという。傑作。

「シーズンの始まり」 ウラジミール・ソローキン
 淡々と語られるような紀行文のような文体。そう、これはただのシーズンの始まり。

「判決 ある物語」 フランツ・カフカ
 このアンソロジーには『変身』や『』で有名な世界的作家カフカの短編も収録されている。『変身』にも似たような読後感はカフカの真骨頂なのかもしれない。しかしそれとは違う形で心を抉られる傑作。

「赤」 リチャード・クリスチャン・マシスン
 男は歩き続ける。当アンソロジー最短の4ページの作品ながら洗練された文章とストーリーは厭な読後感を発現させるのに充分すぎる傑作。

「言えないわけ」 ローレンス・ブロック
 妹を殺された男と彼の妹を殺した男。妹を殺された男は妹を殺した男に死刑の判決を望み、実際その通りになる。そして死刑囚になった男は殺した妹の男に手紙を出す。

「善人はそういない」 フラナリー・オコナー
 「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ」と同じくアメリカ南部が舞台。3世帯家族による小旅行。道すがら祖母は近くに謎めいたお屋敷があるから見たいと提案し、子供たちが賛同する。

「うしろをみるな」 フレドリック・ブラウン
 必ず最後にお読みください。
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 あらすじだけでも厭な雰囲気が伝わっただろうか。何がここまで厭な気持ちにさせるのか。それはこれらが明日わたしやあなたに起こり得ないとは云えない物語たちだからであり、「人間が秘めている狂気」これがいつ表に出るのか怖い。つまりこれらの物語は主に普段は善良な一般の人間が怖いのだそして自分たちが善良な一般の人間に当て嵌まらない、と言い切れるわけがない。それはわたしやあなたがあくまでも普通の人間だからであり、それがたまらなく厭になる。そしてわたしやあなたと同じ人間の隠していた裡を見てしまった罪悪感と嫌悪感の二重奏がこの上ない不協和音になる。しかし、やがて怖い物見たさで何度でも読みたくなってしまうのは逆説的に「わたしはこうではないから大丈夫だ」と安心したいのかもしれない。わたしやあなたも狂気を秘めた人間なのに、である。今日善良だった人間が明日狂気に刈られない保証はないし、それが明日ではなく今日であるという可能性も否定などできはしないのだ。そう、この『厭な物語』の彼ら/彼女らように。

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次回は歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』を予定しています。

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