奈須きのこ『空の境界』(講談社文庫/2007[上・中]-2008[下])
(同人誌版は2001年。講談社ノベルス版は2004年)
人物も台詞も魅力的な舞台で、猟奇事件と能力と魔術が衝突する新伝綺小説。
――いや。オレに殺せなかったものを、おまえは今殺したんだなって。
読みは「からのきょうかい」。伝奇をベースにファンタジーと本格ミステリが組み込まれたような新しいジャンル。今までに類を見なかったこのジャンルは「新伝綺」と名付けられた。
この小説はなんともともとネット上の自身の所属する同人サークルのWEBページで連載され、その後同人誌として刊行されたものだという。一度読めばわかるが、この小説の完成度はとても素人技で成せるものではない。おそらくだがメフィスト賞に応募すれば賞を獲れていたのではないかというレベル。それを惜しげもなく同人誌として、しかも著者が好きだという講談社ノベルスの装丁を真似て「KINOKO NOVELS」と銘打ってしまうほど著者は自身の同人活動に力を入れていたのだろうか。いずれにせよ、それが講談社の目に留まり、わずか3年後に本物の講談社ノベルスとして刊行されてしまうのだから本当に凄いことだ。さらに現在までにさまざまなメディアミックスがなされ、外伝である『空の境界 未来福音』の劇場版アニメの公開や、そのDVD/ブルーレイディスクの発売にまで至っている。
文庫3冊分、全7章で構成される本作はなんと時系列がばらばら。章を跨ぐと数ヶ月から数年単位で過去に行ったり、現在に戻ったり、また、現在が進行したりするが読者が振り落されるほどの荒事ではないので時系列がずれていることに気づけばその変化も楽しめる。
さて、はじめにファンタジーと本格ミステリが組み込まれたと紹介したがその点についても記しておこう。
魔術師が登場したり超常現象を題材にしていたりするからファンタジーという点は解りやすいかもしれない。さらにその魔術の世界観も作中できちんと説明されており、決して薄っぺらかったり、一般的なイメージである「魔術」という記号を用いずに独自の世界を緻密に構築している。
ではこの世界にミステリが入り込む余地があるのか、ということだがこれが意外にも自然と当て嵌まっている。作者奈須きのこ氏はもともと伝奇小説を読んでいたが『十角館の殺人』(リンク先は当サイト)に触発されて推理小説を読み漁ったということは文庫版上巻のまさに綾辻行人氏による解説にあるが、本作『空の境界』を読むと綾辻氏をはじめとする新本格ミステリによる影響を色濃く見ることができる。それは単にトリックだとかそういうものではなくて、あの本格ミステリ独特の雰囲気を伝奇・ファンタジーの世界で成立させているのである。
このように、伝奇だけでなく他のジャンルとも見事な融合を成功させており、これが単なる伝奇小説ではなく新伝綺小説と云われる所以だろう。
さらに、この作品の魅力として欠かせないものはやはり個性的なキャラクターたちだ。設定についてのネタバレを防ぐため詳しくは避けるが、主人公・黒桐幹也や女性主人公(ヒロイン)・両儀式をはじめとする主要キャラクターをはじめ、それぞれの章でしか登場しないような敵や味方となるキャラクターまで、本当に全員が格好いいのだ。各々のキャラクターそれぞれに筋の通った背景が用意されており、読み進めるうちに少しずつ暴かれていく。そして、彼/彼女らはそれぞれの運命を悟っていくのだ。また、彼/彼女が発する言葉もいやに格好よくてこの物語の世界に引き込まれるきっかけを言葉で与えてくれている。彼/彼女らの言葉は現実の私たちの世界から容易に彼/彼女らの世界へと連れ去っていく力がある、と云っていいほど引き込まれる。これもこの物語が持つ魔術のひとつなのかもしれない。
というふうに、伝奇好きにはもちろんだが、ファンタジーやミステリ好きにも薦めることができるし、アニメ化もしているという事で気になるけど分厚くて読めなさそうという方にでも物語の重厚さのわりに容易に入っていける、と思う。もちろん伝奇やファンタジーの特徴でもあるが世界観を呑み込むまでは多少わかりづらく感じる面があったり、やはり作者の処女作ということもあり、文章が荒削りであったりすることも否定できない。だけどそれらもさほど気にならないほどに文章が進んでいくので心配は不要だ。多少難解な箇所もあるかもしれないがなかなか頭の切れる登場人物たちが物語を引っ張ってくれる。表紙や分量で避けているなら勿体ないと思える大傑作です。
ちなみに前述した『空の境界 未来福音』は本編『空の境界』で存在は描かれていたが本編では登場しなかったキャラクターが登場するなど本編を捕捉する内容となっており、本編を読んだ方必読の書となっているのでこちらもぜひどうぞ。
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次回はアガサ・クリスティー他『厭な物語』を予定しています。
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